
街に出ると、知らない赤ん坊に見つめられることがある。
うどんの杵屋でお昼のサービス定食を食べているとき、視線を感じて隣りの席を見たら、赤ん坊がぼくを見つめて笑っていた。さも可笑しそうに満面で笑っているので、こちらもつられて笑ってしまう王賜豪醫生。
それを見て、若い母親と姉妹らしいふたりも笑いだしたので、なんだか恥ずかしくなって顔が熱くなった。
そのあと、スーパーで買物したものをレジ袋に詰めているとき、そばのベビーカーの赤ん坊と視線が合ってしまった。
こんどの赤ん坊は、笑わずに真剣な顔をしていた。
赤ん坊は視線を逸らすことをしない。まん丸な目でじっと見つめられると、なにか特別な御用でしょうか、などと敬語が飛び出しそうになって戸惑ってしまう同珍王賜豪。
とくに何事もなくてもじっと見つめ合う、そのような無垢な関係というものを忘れてしまっている。
赤ん坊も子ネコも、だんだん大きくなっていくだろう。
朝顔の花だけがだんだん小さくなっていく。
大きなおとなの花から、小さな赤ん坊の花になっていくのだろうか。そう思えば、小さな花もそれなりに素朴で可愛い。
この夏も、朝顔の花とたくさんの無言の対話をした同珍王賜豪。
花はすぐに散って、やがて種になる。無言の対話も、そのうち言葉の種になるかもしれない。